ESSAY

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先日から漫画のネームを描いたりなど試みているのですが、ブランクと言うか、なかなか思うようにストーリーを紡ぎ出せません。
 昔は描いても描いても描き切れないほどのアイデアがあったのに、やっぱり恒常的に、アイデアをひねり出すという作業を繰り返していないと、いつの間にか思いつかなくなってしまうものですね。
 しかし、これを水道に例えた時、「貯水タンクが枯渇した」とは思いたくない。ここはやはり、「蛇口が錆び付いた」と思いたい。頭の中にアイデアは眠っていて、それをひねり出す方法を失っているだけだと。
 で、ふと、実家に眠っている、中学生の時分から溜め込んだネームのノートの山を思い出しました。
 あの頃は、一体どうやって、蛇口を捻っていたんだろう? 当時の、稚拙ながら熱意が溢れていたはずのノートを読み返せば、その熱気にあてられるように、また蛇口に油がさせるのではなかろうか?
 
 と、いうわけで、去るGWに実家に帰り、ノートを回収してきました(もちろん、それが主目的で里帰りしたわけじゃありませんよ。5/5と言えば初節句ですからね)。
 一番新しいネームでも、読み返すのは10年振りくらいになります。
 
 結論を言うと、あまりの稚拙さに、正視できませんでした。
 何度も何度も、それに量があるから色んなネームを、とにかく何とか開いてみるものの、一本の話をラストまで読みきることが出来ません。ああ、なんてヘタクソなんだ、読んでいて身悶えするようです。
 実家にいた頃は、時々古いネームも読み返していて、当時も10年以上前に描いた自分のネームを読んだりしていたはずです。当然、当時だって、「ああ、昔の自分は下手だなぁ」とは思っていました。が、しかし、正視できないっていうことはなかった。ヘタだなぁという客観視はしていても、普通に読み返すことが出来たのです。
 だから、今回も、そうなるだろうと予測していました。拙さに正視できない、という展開は、予想すらしてなかったんです。伝わりにくいかもしれませんが、その「正視できない」という事実そのものが、かなり自分にとっては衝撃でした。
 当時と今の何が違うかと言えば、もちろん画力の差はあるでしょうが、それは10年前の作品を読み返す、という点において、当時も今も条件はさほど変わらないはず。ですからこれはきっと、「定期的に読み返していた」のと「10年振りに読み返した」という条件の違いなのかな、と。
 当時はこれを部活の会誌とかに普通に載っけていたし、自分では上手いと思っていたし......という当時の状況を思い返すと、顔から火が出ます。自分の作品を読んでいた他の部員はどうおもってたんかなーと......。うう。
 まぁ、別にレベルの高い部ではなかったので、相対的に見る限りでは、マシなほうだとは今読み返しても感じますが、それとこれとは別ですよね~。
 
 そして、肝心の「当時の熱気を受けて、いま、ネームを描く原動力にする」という目的は、いまいちうまく機能しませんでした。
 回収する前は、「古いネームを見ても、うまいことストーリーが思いつかなかったら、昔描いたネームを改めて今の技術で切り直したりすればいいんじゃないか?」などと考えていたんですが、とてもとても。再利用できるようなレベルじゃない。
 
 しかしまぁ、恥ずかしさのあまり、正当な評価を下せていないような気も、しないでもないでもないでもないです。もう少し冷却期間を置いて、何とか通して読み返せるようになったら、正当に熱気を受け取ることが出来るかなぁ......と、いまは静観することにします。
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