ESSAY

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 2nd RING、第百十九話の公開です。
 あと、調子に乗ってCGをもう一枚描きました。CGの感想が殆ど無いのがちょっと寂しいですが、それは拙いから仕方が無いかも。
 
 そして報告をもう一つ。
 息子が誕生しました(トップページの写真は、生まれたての息子の手です)。
 
 よく、子供を持つ親の話として、「誰と比べても自分の子供が一番可愛い」と感じる、という話を聞きます。それが、例え本当に客観的に見て可愛いわけではないとしても、です。
 また同時に、こういう話も聞きます。母親は、苦しい陣痛を超えて生まれた我が子に無償の愛を注ぐことができますが、父親は少なくとも、生まれたばかりの我が子にそこまでの愛情は抱けない。日々の子育てを通じて、徐々に、我が子への父性愛に目覚めていくものなのだ、と。
 自分はどちらだろう? と、妻の妊娠中も、ずっと思っていました。こういう気持ちは、自分ではコントロールできません。自分がどう感じるか、それは、その場になってみなければ分からないし、「父性愛に目覚めよう」と思ったら父性愛に目覚める、というようなものではもちろんありません。
 臨月が近くなると、色んなパンフレットなどで新生児の写真などを目にする機会が増えます。よく言うように、やはり生まれたばかりの新生児は、「お猿さんのよう」に見えます。また、どの新生児も、同じようにも見えます。そして他人の新生児を見て、お世辞にも可愛いとは言い切れません(可愛く無い、とは言いませんよ)。
 ......そう言えば、以前、トリビアの泉でやってましたね、父親に、自分の子供が見分けられるか? という実験。結果は、見分けられる人もいれば見分けられない人もいる。見分けた人でも、客観的に見て偶然だろう、もう一度やったら外すんじゃないか、というニュアンスの人も多かった。
 つまり、そういうことです。
 そういう状況を鑑みて、自分はおそらく、最初は母親のような愛情は抱けず、やがて日々の経過と共に我が子として愛するようになるのだろう、と思っていました。
 別に、それが間違っていると思っていたわけではありません。父親とはそういうものだし、多くの父親がそうして父性愛に目覚めていくのだろうから、問題は無いと思っていました。単なる、予想でした。
 
 その予想は、覆されました。
 母親の中から生まれた瞬間の、血と羊水にまみれた猿のような息子の顔を見た瞬間に、湧きあがった思いは「可愛い」という感情でした。
 数時間後に、綺麗になった息子を初めて抱いた時、新生児室にいる他のどの赤ん坊よりも、我が子が可愛いと思いました。
 そういう風にはきっと思わないだろう、と考えていた自分の予想は、見事に裏切られました。
 
 自分の中にどういう現象が起こり、性格上起こりえない、と思っていた感情が沸き起こるのか。
 自分の心の中を探しても、その理由を見つけることはできず、ただ、その小さな手を見つめていると、そんなことはどうでもいいな、と思えてくるのでした。
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